毎日出てゐる青い空

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人口爆発も資源枯渇も怖くないー人類の長い歴史とワクチン接種

人は大型霊長類として、一定のなわばりの中を、離合集散可能な群れを作って移動しながら暮らしていました。この時代、散在する食料などの資源を巡って移動する生活は、個体を抑制し、大規模で全面的な闘争は起きにくい状態にありました。

 

水産資源の利用によって定住したこと、備蓄するようになったこと、さらには農耕を開始したことで人類は増え始め、土地をめぐって戦争が盛んに行われるようになりました。日本でいえば縄文晩期または弥生時代が戦争の始まりになりました。

 

その後も、農耕社会では人口増加の圧力は存在し続けていましたが、強大化した権力によって人口増加と環境破壊が抑えられる状況が生まれました。もしも強大な権力による抑止がなければ、森はすべて切り開かれ、はげ山が広がる大地になってしまったのです。

 

こうして振り返ってみれば、農耕社会において強大な権力が庶民を抑圧したことは当然の成り行きでした。そうしなければ、社会を維持できなかったのです。

 

次に訪れたのが、この権力を倒して人々を抑圧から解放すると喧伝する社会でした。新しい社会の技術力は、世界各地に残っていた狩猟採集社会やゾミア的農耕社会もまた破壊して、鉱物を掘り出し、木々を伐採して農地を拓きました。いまや、新しく切り開く農地はなくなり、鉱物も掘り尽くそうとしています。

 

ここで、支配者の目線に立ってみましょう。このままでは、増える人口が環境を悪化させて、人々の不満が爆発することを避けられそうにありません。どうすればよいでしょうか。

 

人々に、健康のためとワクチンを注射して不妊にしてしまえば、よいのだと考えついたとしても不思議はありません。

 

人類史を長いスパンで振り返れば、私たちが不妊ワクチンが絵空事ではないことがはっきりとわかってくるのです。そして、ワクチンを打たれるような世界が、悪夢の世界であることもわかってくるのです。

 

破滅に向かう日本④ 全ての日本人女性は不妊処理、もしくは毒殺されるのか? : ijn9266のブログ

 

抽象概念は詐欺師への第一歩

言葉という不完全で癖の強い道具と付き合っているうちに

私たち人類は勘ちがい野郎になってしまった。

 

 

たとえば猫たちなら決して持たないであろう抽象概念を

私たちはこの世の真実を反映した言葉なのだと

思い込むようになってしまった。

 

 

私たちは、神、正義、平和、民主主義、権利などの言葉を使って、

自分を正当化する馬鹿ものになってしまった。

 

 

もしも、言葉によって伝えられることがなかったなら

一体どれほどの人が、

このような抽象概念を考えつくだろうか。

おそらくこのような概念を必要とすることは殆どなかっただろう。

 

 

動物たちは、そのような抽象概念は一切不要で、

状況やその場で感じられるものに従って行動すれば

結局それなりにうまくやっていけることを教えてくれる。

 

 

動物たちの有り様を見ると、

神、正義、平和、民主主義、権利などの抽象概念は

むしろ、でっちあげに近いということさえ見えてくる。

誰かが誰かの都合に合わせて作り上げただけで

納得できる根拠などありはしないのだ。

 

そんなでっち上げが通用するのは、

事実と経験を頼りに独自に理解していく作業を

個体ごとに繰り返すのではなく、

既に存在する抽象概念を根拠に法や制度、文化ができ上がり、

これに従わされるという

本末転倒が起きているせいなのだ。

 

たとえばピダハン手話の世界は、

私たちが抽象概念によってどれほど毒されているのかを

教えてくれる。

 

抽象概念は、詐欺師への第一歩なのだ。

 

 

 

文明の支配者はヒトの本来の生き方を否定して、ヒトから搾取する

私たちが本来の生き方をしている間、

私たちは余剰生産物を生みださない。

 

個体数を増やすこともなければ

経済発展することもない。

貯蓄もなければ

老後や病気に備えることもない。

 

私たちは動物として

裸体のまま過ごし、

動物として遊び、

動物として子を育み、

動物として死を選び、

墓場も持たずに大地に帰る。

 

私たちは日々を楽しみ

運命を受け入れながら、

この暮らしを主体的に生きるから

死ぬことができるのだ。

 

 

こんな暮らしを選ばれてしまったら、

ヒトを利用して生きる支配者たちは

居場所をなくしてしまう。

 

だから彼らは言うのだ、

人とサルの違いは労働だ、

墓場を持たないような奴らは野蛮人だ、

服を着なさい、

勉強しなさい、

経済発展が大事だ、

人を助けなさい、

人類は偉大だ、

人は理想を実現できるのだ、

自殺は罪だ、

人命は何より大切だ…

 

彼らは人助けをするふりをして、

ただただ搾取する方法を考えているだけなのだ。

 

 

 

食べられる山野草+昆虫+魚+一部栽培植物(『本多勝一はこんなものを食べてきた』より)

■おなじみの山野草に加え、まだまだある食べられる野山の恵み■

 

 

食べられる野草についてネットを調べているうちに、どのページも同じような内容になっている一方で、この本『本多勝一はこんなものを食べてきた』に登場した植物の多くは記載がないことに気付きました。そこで、こんなものも食べることができるよということで紹介させていただきます。山野草だけでなく、昆虫なども含めてあります。

 

■草や木の実(柿を除く)

ツナミ(クワの実):木イチゴのようにそのまま食べる。これは私も食べたことがあります。おいしいものです。

キンタマハジキ(ナツハゼの実):霜の降りる頃、真っ黒に熟した実をしごきとり、片手一杯につかんで口に放り込む。無我夢中で食べるほどうまい。

クサボケ(ボケ)の実:夏のまだ青くて柔らかいものをそのまま食べるか、うす塩で一晩付けて食べる。

カヤの実:生のままだと渋味や苦味があるため、二~三日灰汁につけておいて干したものを食べるか、イロリのオキに入れたりして焼いてから食べる。

アケビの実:おなじみ。

スグリ(グズベリ)の実:熟した実を食べる。

カワラグミ(アキグミ)の実:少し渋みがあるがよく熟したものは甘くてうまい。

コッカ(サルナシ)の実:よく熟した実は抜群に甘くうまい。

キイチゴ:熟した実を食べる。

ゴミシ(マツブサ)の実:熟した実をそのまま食べる。今では貴重種。ヤマブドウよりうまい。

 

 

■葉・芽・茎・樹液

ナズナ:ホウレンソウのように冬も緑色を保つ冬野菜としておひたしで食べる。

ヨモギ:おなじみ。まだ柔らかい芽を摘み、ゆでてモチにつきこむ。

イロハカエデの葉:掌形の葉の指の部分をイロハニホエトと数えて丁度同じ数の葉だけを食べる。腹いっぱいになるほど食べたとのこと。

スイバ(スカンポ:これはおなじみのもの。シュウ酸を含むため食べ過ぎに注意。 

イタドリ:春伸び出すタケノコ状の若い芽を食べる。エンジ色の皮をむいてそのままかじる。

山のスッパ(スノキ):スノキはブルーベリーの仲間。ツツジ科。葉を食べる。実も食用になる。カタバミの葉も食べたとのこと。

アズキッパ(ナンテンハギ):春の柔らかい茎先と葉を摘んでおひたしにする。

ネンブリ(ノビル):おなじみ。ミソを付けて生食か、鱗茎と葉をさっと茹で酢みそでぬたにする。

オランダガラシ(クレソン):おなじみ。生食。大量なら茹でてショウユとカツオブシでおひたし

サツマイモのズイ:ツルと葉の間の部分をしょうゆなどで煮付けて食べる。葉は食べない。

ヤシャブシャの味噌汁:炭焼き用に切った切り口から出るオレンジ色がかった赤い樹液の固まりを洗って味噌汁に入れる。余談ですが、ヤシャブシャはどんな木なのかと調べていたときに見つけた、ほかの秋の収穫: 大自然の中の暮らしによると、ムカゴ(山芋の実)は生でも食べられるようです。

 

 

■花・蜜・穂・つぼみ

ツツジの花:五枚の花弁が繋がった状態で採集し、複数をまとめて食べる

チチバナ(ムラサキツメクサ/アカツメクサ:丸い花序の花をつまんで、一度に四、五個抜けてくる花の蜜を吸う。

チガヤ:まだ外に出るか出ないかの若いチガヤの穂を食べる。甘味があってうまい。

ニセアカシアの花:枝から花をしごき取りさっとゆがいておひたしにするか、そのまま天ぷらにする。

フキノトウ:おなじみ。冬芽が出たばかりのフキノトウを刻んで汁の薬味に使う。

 

 

■柿

切り柿:傷が付いたり、ヘタが取れたり、小粒すぎたりする渋柿を皮もむかず縦に四ツ割か六ツ割にして10日ほど天日で干したもの。春まで食べることのできるおやつ。

柿の皮干し柿にするために剥いた柿の皮を干して食べる。

焼き柿:渋柿を丸ごとアミの上で焼く。

 

■昆虫

ゴトウムシ(カミキリムシの幼虫):火鉢に渡したアミの上で焼いて食べる

カミキリムシ:ゴトウムシの親。頭をちぎってイロリの熱い灰の中に縦に挿し込む(ちぎった頭の部分は上に出た状態)。香ばしいにおいが漂ってきたら、灰から取り出し、固い羽をサジ変わりに中のドロドロをすくって食べる。絶品らしい。

ヒビ(蚕の蛹):大なべで甘く炒りつけて食べる。私の頃は魚釣りの餌としてしか知りません。 臭くておいしくなさそうでした。

カイコ蛾:まるごとふるいに入れてイロリの上でふるうと羽が取れる。それを鍋に入れショウユでいりつける。サナギよりも脂っぽくなくくどさがなくてうまいとのこと。

シラガダイジン(クスサンの幼虫)のサナギ:蚕のサナギと同じように食べる。玉子焼きみたいな味。

アシナガバチの子:ナマやショウユ焼きで食べる。私もクロスズメバチの子は食べたことがあります。

カラスのおみやげ(オトシブミの卵):オトシブミが落とした落とし文(筒状に巻かれた葉)の中の卵を食べる。子どもが面白がって食べていただけでおいしくもなんともない。

ザザムシ(カワゲラ、トビケラ、カゲロウなどの幼虫):そのまましょうゆで炒り煮にして食べる。サナギも食べる。

ベボ(クマバチ)ホバリングしているオスのクマバチを叩き落とし、首と胴体を切り離す。クビのところに蜜があるので、これを舐めたり吸ったりする。

 

■魚介類

オカメス(メダカ):用水路の途中で網を構えて待ちうけ、上流からもう一人がばしゃばしゃと音を立てて追いこむ。醤油で煮て食べる。最初の一匹は強壮剤と称して丸のみしたとのこと。私も、泳げるようになるからと、ハヤの稚魚を丸のみしたことがあります。

サワガニ:夏はミミズなどを食っているため不純なのと寄生虫を恐れて、冬の間に湧水のあるところで獲る。主に唐揚げで食べる。

ドジョウ:冬に田んぼの泥にもぐり込んだドジョウを獲り、しょうゆ煮で食べる。

ナマズ:ショウユで煮付けて食べる。

ウナギ:夕方暗くなり始める少し前にハリを仕掛ける。翌朝夜明けと同時に見に行く。しょうゆで網焼きにして食べる。

カワニナ(巻貝):濃い目にミソを溶いた汁に入れ、汁がなくなるまで煮詰める。先の細くなっている部分を折り取って取り出しやすくしてから、フタを開け、ヨウジの先で突き刺して取り出す。食べるのに手間がかかる。

 

■鳥と卵

ホホジロ:丸ごと熱湯に入れて羽を取り、丸焼きにする。捕まえ方はマンガでよくある方法だが支柱を短くしておくとよいらしい。

ヒクイナの卵:河川工事が行われる以前、天竜川の川原にいたヒクイナの巣から卵をとってゆでて食べた。ウズラの卵より少し大きい。

ツグミ:散弾銃で撃って獲る。熱湯に入れて羽を取り、腹を割いて内臓を出し、串にさす。イロリで焼いてからショウユをつけてもう一度あぶる。

 

 

■哺乳類・両生類・爬虫類

ウサギ:本書のものは飼いウサギ

シマヘビ:ブツ切りにしてショウユの付け焼きにする。アオダイショウと違い臭くない。

サンショウウオ:登山の際、ハコネサンショウウオを見つけて焼いて食べたとのこと。うまくもなんともないらしい。

 

 

 

 

 

独占ということ

農耕を開始した人類の中で

土地を独占した者が王と呼ばれるようになった。

 

 

貨幣という概念が誕生したとき、

実効性を持つ通貨を発行できる者は、

原価との差益を独占することで、

農耕とは次元の違う富を独占するようになった。

 

 

今、独占は、あらゆる分野に及ぶ。

法治国家という概念を作って法を独占した。

大学を作って学問を独占した。

マスメディアを作って情報を独占した。

学校を作って教育を独占した。

人々の健康を守ると言って医療を独占した。

株式制度を作って企業を奪い取り、

特許制度を作って技術を奪い、

著者権を作って知識を奪う。

 

しかし人は逆の世界を見ている。

法によって治められていることに安心し、

大学の肩書を信じ、

ジャーナリズムを信じ、

教育の充実を要求し、

医療の充実を要求して

安心のために法の強化を要求する。

 

 

マイケル・ジャクソンが見抜いたように、

私たちは邪悪な人々が生み出したものに

かえって信頼を寄せ、愛着を示し、あこがれるように

仕向けられている。

 

 

トンデモだと言っては退け、

非人道的だと言っては退け、

旧弊にすぎないと言っては退けてきたものこそが本来であり、

私たちを本来の姿に戻してくれるものたちなのに、

独占者たちの繰り出す

詭弁にまんまと乗せられて

かえって不幸になる道ばかりを選んでいるのだ。

 

 

はっきり言おう、

「独占」を許す限り

この世界は支配者たちのものであり続ける。

 

学問も、法も、技術も、貨幣も、土地も、教育も、

情報も、独占されていない状態だけが本物だったのだ。

 

つまり、点在する資源を求めて歩きまわっていた頃、

すなわち、遊動する大型霊長類として生きていた

狩猟採集時代こそが本物だったのだ。

 

「独占」という視点で文明社会を見れば、

文明社会の本当の姿を見抜くことは簡単なのだ。

 

 

 

 追記:

河の護岸を工事したりダムを作ったりすることや

植林によって広葉樹林を針葉樹林に変えることも

独占の視点から説明できる。

つまり、食糧を野山から得ることができるような環境は

独占の効果を低下させてしまうのである。

 

決して充分な予算を割り当てることのない地方自治法

方言狩りも、独占の一種である。

 

文明は自主独立をとことん嫌うのである。

 

 

 

人類延命の鍵は、人は動物なのだと確認することにある


記事:思い出そう―森で生まれた私たち

 

 

 

 

冬の山に一人で登った日、

雪は頂上付近でもせいぜい30cmくらいで

下山だけなら駐車場まで1時間弱の山ではあっても、

私はいつになく緊張しながら足を進めた。

それは、命の確かさを感じた一日だった。

 

 

生きるという事は実はそんな体験の積み重ねだけなのだと、

本来の生き方を続けてきた人々は教えてくれた。

 

 

労働が人と動物を区別したのではなく

労働は本来の人と、労働者とを区別したのだった。

人は計画を立てて生きる存在ではなく、

獲物が来ることを信じて待つような存在だった。

人は協力し合うことに重きを置く存在ではなく、

必要な場合に限って協力したい存在だった。

 

 

人は強く賢いリーダーを欲する存在ではなく、

できるだけ縛られたくない存在であった。

 

人は、他の集団と交流を持つことよりも、

できるだけ同一集団内で充足しようとする存在であった。

 

人は地に満ちることではなく、

環境を維持することを重視しなければならない存在であった。

 

 

人は動物たちと同じように、

命を絶対視などしてはいけない存在であった。

 

何かを成し遂げるために生きるのではなく、

そのときどきを生きていけばよい存在であった。

 

 

私たちが教え込まれていた人間像は、

私たちが動物として生きることで困る立場の者たちが

私たちを動物ではなく労働者にするためにでっちあげた人間像であった。

 

 

 

現代社会の実像は、

そのような人間像に騙されて

人々が労働に勤しみ

協力し合い、

計画を立て

人の命を大切にし、

自然な欲求を否定していく社会であった。

 

人々に虚構を夢見させることで、

寄生者たちが金融、裁判、学問などの制度を作って

人類を支配している社会であった。

 

 

沖縄の住民を弾圧するために使われる私たちの税金はまだわかりやすい。

わかりにくいのは、人を幸せにするかに見せながら

本来の生き方をできなくしていく

「正しさ」「温かさ」「楽しさ」「快適さ」といった

肯定的な概念を装った悪意であった。

 

 

私たちが動物として生きようとしたとき、

私たちは労働者として利用されていたにすぎないことも

本来のヒトは他の動物たちにずっと近い存在であることも、

そのように生きるとき生命が輝くこともわかってきた。

 

人の本来の生き方を知ることは

確かな価値基準を得ることであり、

はかない生の意味を知ることであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

トヨタも東電もMicrosoftもGoogleも、「支配者」の意図の下で育つ

車を売りたくても道路や法が整備されていなければ売ることはできない。

電気を売りたくても、法が整備されていなければ鉄塔を建てることもできない。

コンピュータを売りたくても、法で禁じられていれば売ることはできない。

検索機能を売りたくても、法で禁じられていれば売ることはできない。

 

私たちの社会は、支配者たちの利益に応じて「あれは推進」「これは禁止」とする理屈をつけて、またはうやむやのうちに、方向性を定めた法やインフラ整備によって進路が決められている。

 

陰謀論」を手がかりに不思議を突き詰めていくと、

今の世界は、政府が法を定め、税金を投入してはインフラを整備しているからこうなっているのだということがわかる。

 

たとえば麻について考えてみればいい。

麻がどんなにすぐれていようと、禁じられていれば盛んに栽培されることにはならない。それが現在の状況である。

 

たとえば輸血について考えればよい。

http://sharetube.jp/article/1379/

輸血に代わる安全な手法が存在していても、輸血がどんなに危険であっても、輸血が支配者側と結びついていれば、決して禁じられることはなく、代替手法が広められることもない。それが現在の状況である。

 

たとえば「125ccカー」、「水で走る車」、「水とガソリンを混ぜて燃費とパワーを向上する水混合燃焼システム」について考えればよい。

技術的に何の障害もないはずのこの便利な車は、何度も市販時期を報道されながら、結局実現に至っていない。

 

著作権も土地の私有も法人制度も、本当は道理にあってなどいない。

 

私たちが、新聞報道やテレビ報道に脊髄反射のように反応している裏で、うやむやのうちに社会の進路が決められている。観光立国や、五輪誘致、万博誘致なども誰がどうきめたのか、よいことなのかどうか一切説明されることなく、「協力しよう」「この流れにのって収入をふやそう」と動機づけられていく。

 

本当に大切なことは、本来の姿を知り、これを基準として判断していくことである。その結果、今の社会がどれほど異様なのかがはっきりと見えてくるのだ。私は、ヒトの本来の生き方は、大型霊長類の一種として遊動する狩猟採集生活を送る生き方であると判断している。そのことによって、支配者たちの意図がはっきりと見えてきている。

 

私自身、人生の半ば過ぎまで、支配者たちが作る社会の動きに呑み込まれて行動し、思考するだけであった。バイオテクノロジーにあこがれ、ビルゲイツにあこがれ、国連職員や国境のない医師団を尊敬した。市民社会や、成熟した民主主義などという言葉を信じ込んだ。だが、それは支配者たちが用意した回答でしかなかった。

 

今ははっきりとわかる。私たちが自分の人生を生きることは、支配者たちの意図を外れたとき初めて可能になるはずなのだ。

 

 

 

 

 

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