毎日出てゐる青い空

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食べられる山野草+昆虫+魚+一部栽培植物(『本多勝一はこんなものを食べてきた』より)

■おなじみの山野草に加え、まだまだある食べられる野山の恵み■

 

 

食べられる野草についてネットを調べているうちに、どのページも同じような内容になっている一方で、この本『本多勝一はこんなものを食べてきた』に登場した植物の多くは記載がないことに気付きました。そこで、こんなものも食べることができるよということで紹介させていただきます。山野草だけでなく、昆虫なども含めてあります。

 

■草や木の実(柿を除く)

ツナミ(クワの実):木イチゴのようにそのまま食べる。これは私も食べたことがあります。おいしいものです。

キンタマハジキ(ナツハゼの実):霜の降りる頃、真っ黒に熟した実をしごきとり、片手一杯につかんで口に放り込む。無我夢中で食べるほどうまい。

クサボケ(ボケ)の実:夏のまだ青くて柔らかいものをそのまま食べるか、うす塩で一晩付けて食べる。

カヤの実:生のままだと渋味や苦味があるため、二~三日灰汁につけておいて干したものを食べるか、イロリのオキに入れたりして焼いてから食べる。

アケビの実:おなじみ。

スグリ(グズベリ)の実:熟した実を食べる。

カワラグミ(アキグミ)の実:少し渋みがあるがよく熟したものは甘くてうまい。

コッカ(サルナシ)の実:よく熟した実は抜群に甘くうまい。

キイチゴ:熟した実を食べる。

ゴミシ(マツブサ)の実:熟した実をそのまま食べる。今では貴重種。ヤマブドウよりうまい。

 

 

■葉・芽・茎・樹液

ナズナ:ホウレンソウのように冬も緑色を保つ冬野菜としておひたしで食べる。

ヨモギ:おなじみ。まだ柔らかい芽を摘み、ゆでてモチにつきこむ。

イロハカエデの葉:掌形の葉の指の部分をイロハニホエトと数えて丁度同じ数の葉だけを食べる。腹いっぱいになるほど食べたとのこと。

スイバ(スカンポ:これはおなじみのもの。シュウ酸を含むため食べ過ぎに注意。 

イタドリ:春伸び出すタケノコ状の若い芽を食べる。エンジ色の皮をむいてそのままかじる。

山のスッパ(スノキ):スノキはブルーベリーの仲間。ツツジ科。葉を食べる。実も食用になる。カタバミの葉も食べたとのこと。

アズキッパ(ナンテンハギ):春の柔らかい茎先と葉を摘んでおひたしにする。

ネンブリ(ノビル):おなじみ。ミソを付けて生食か、鱗茎と葉をさっと茹で酢みそでぬたにする。

オランダガラシ(クレソン):おなじみ。生食。大量なら茹でてショウユとカツオブシでおひたし。

サツマイモのズイ:ツルと葉の間の部分をしょうゆなどで煮付けて食べる。葉は食べない。

ヤシャブシャの味噌汁:炭焼き用に切った切り口から出るオレンジ色がかった赤い樹液の固まりを洗って味噌汁に入れる。余談ですが、ヤシャブシャはどんな木なのかと調べていたときに見つけた、ほかの秋の収穫: 大自然の中の暮らしによると、ムカゴ(山芋の実)は生でも食べられるようです。

 

 

■花・蜜・穂・つぼみ

ツツジの花:五枚の花弁が繋がった状態で採集し、複数をまとめて食べる

チチバナ(ムラサキツメクサ/アカツメクサ:丸い花序の花をつまんで、一度に四、五個抜けてくる花の蜜を吸う。

チガヤ:まだ外に出るか出ないかの若いチガヤの穂を食べる。甘味があってうまい。

ニセアカシアの花:枝から花をしごき取りさっとゆがいておひたしにするか、そのまま天ぷらにする。

フキノトウ:おなじみ。冬芽が出たばかりのフキノトウを刻んで汁の薬味に使う。

 

 

■柿

切り柿:傷が付いたり、ヘタが取れたり、小粒すぎたりする渋柿を皮もむかず縦に四ツ割か六ツ割にして10日ほど天日で干したもの。春まで食べることのできるおやつ。

柿の皮干し柿にするために剥いた柿の皮を干して食べる。

焼き柿:渋柿を丸ごとアミの上で焼く。

 

■昆虫

ゴトウムシ(カミキリムシの幼虫):火鉢に渡したアミの上で焼いて食べる

カミキリムシ:ゴトウムシの親。頭をちぎってイロリの熱い灰の中に縦に挿し込む(ちぎった頭の部分は上に出た状態)。香ばしいにおいが漂ってきたら、灰から取り出し、固い羽をサジ変わりに中のドロドロをすくって食べる。絶品らしい。

ヒビ(蚕の蛹):大なべで甘く炒りつけて食べる。私の頃は魚釣りの餌としてしか知りません。 臭くておいしくなさそうでした。

カイコ蛾:まるごとふるいに入れてイロリの上でふるうと羽が取れる。それを鍋に入れショウユでいりつける。サナギよりも脂っぽくなくくどさがなくてうまいとのこと。

シラガダイジン(クスサンの幼虫)のサナギ:蚕のサナギと同じように食べる。玉子焼きみたいな味。

アシナガバチの子:ナマやショウユ焼きで食べる。私もクロスズメバチの子は食べたことがあります。

カラスのおみやげ(オトシブミの卵):オトシブミが落とした落とし文(筒状に巻かれた葉)の中の卵を食べる。子どもが面白がって食べていただけでおいしくもなんともない。

ザザムシ(カワゲラ、トビケラ、カゲロウなどの幼虫):そのまましょうゆで炒り煮にして食べる。サナギも食べる。

ベボ(クマバチ)ホバリングしているオスのクマバチを叩き落とし、首と胴体を切り離す。クビのところに蜜があるので、これを舐めたり吸ったりする。

 

■魚介類

オカメス(メダカ):用水路の途中で網を構えて待ちうけ、上流からもう一人がばしゃばしゃと音を立てて追いこむ。醤油で煮て食べる。最初の一匹は強壮剤と称して丸のみしたとのこと。私も、泳げるようになるからと、ハヤの稚魚を丸のみしたことがあります。

サワガニ:夏はミミズなどを食っているため不純なのと寄生虫を恐れて、冬の間に湧水のあるところで獲る。主に唐揚げで食べる。

ドジョウ:冬に田んぼの泥にもぐり込んだドジョウを獲り、しょうゆ煮で食べる。

ナマズ:ショウユで煮付けて食べる。

ウナギ:夕方暗くなり始める少し前にハリを仕掛ける。翌朝夜明けと同時に見に行く。しょうゆで網焼きにして食べる。

カワニナ(巻貝):濃い目にミソを溶いた汁に入れ、汁がなくなるまで煮詰める。先の細くなっている部分を折り取って取り出しやすくしてから、フタを開け、ヨウジの先で突き刺して取り出す。食べるのに手間がかかる。

 

■鳥と卵

ホホジロ:丸ごと熱湯に入れて羽を取り、丸焼きにする。捕まえ方はマンガでよくある方法だが支柱を短くしておくとよいらしい。

ヒクイナの卵:河川工事が行われる以前、天竜川の川原にいたヒクイナの巣から卵をとってゆでて食べた。ウズラの卵より少し大きい。

ツグミ:散弾銃で撃って獲る。熱湯に入れて羽を取り、腹を割いて内臓を出し、串にさす。イロリで焼いてからショウユをつけてもう一度あぶる。

 

 

■哺乳類・両生類・爬虫類

ウサギ:本書のものは飼いウサギ

シマヘビ:ブツ切りにしてショウユの付け焼きにする。アオダイショウと違い臭くない。

サンショウウオ:登山の際、ハコネサンショウウオを見つけて焼いて食べたとのこと。うまくもなんともないらしい。

 

 

追記:この記事はるびりん書林にも掲載しました。

 

 

 

 

独占ということ

農耕を開始した人類の中で

土地を独占した者が王と呼ばれるようになった。

 

 

貨幣という概念が誕生したとき、

実効性を持つ通貨を発行できる者は、

原価との差益を独占することで、

農耕とは次元の違う富を独占するようになった。

 

 

今、独占は、あらゆる分野に及ぶ。

法治国家という概念を作って法を独占した。

大学を作って学問を独占した。

マスメディアを作って情報を独占した。

学校を作って教育を独占した。

人々の健康を守ると言って医療を独占した。

株式制度を作って企業を奪い取り、

特許制度を作って技術を奪い、

著者権を作って知識を奪う。

 

しかし人は逆の世界を見ている。

法によって治められていることに安心し、

大学の肩書を信じ、

ジャーナリズムを信じ、

教育の充実を要求し、

医療の充実を要求して

安心のために法の強化を要求する。

 

 

マイケル・ジャクソンが見抜いたように、

私たちは邪悪な人々が生み出したものに

かえって信頼を寄せ、愛着を示し、あこがれるように

仕向けられている。

 

 

トンデモだと言っては退け、

非人道的だと言っては退け、

旧弊にすぎないと言っては退けてきたものこそが本来であり、

私たちを本来の姿に戻してくれるものたちなのに、

独占者たちの繰り出す

詭弁にまんまと乗せられて

かえって不幸になる道ばかりを選んでいるのだ。

 

 

はっきり言おう、

「独占」を許す限り

この世界は支配者たちのものであり続ける。

 

学問も、法も、技術も、貨幣も、土地も、教育も、

情報も、独占されていない状態だけが本物だったのだ。

 

つまり、点在する資源を求めて歩きまわっていた頃、

すなわち、遊動する大型霊長類として生きていた

狩猟採集時代こそが本物だったのだ。

 

「独占」という視点で文明社会を見れば、

文明社会の本当の姿を見抜くことは簡単なのだ。

 

 

 

 追記:

河の護岸を工事したりダムを作ったりすることや

植林によって広葉樹林を針葉樹林に変えることも

独占の視点から説明できる。

つまり、食糧を野山から得ることができるような環境は

独占の効果を低下させてしまうのである。

 

決して充分な予算を割り当てることのない地方自治法

方言狩りも、独占の一種である。

 

文明は自主独立をとことん嫌うのである。

 

 

 

人類延命の鍵は、人は動物なのだと確認することにある


記事:思い出そう―森で生まれた私たち

 

 

 

 

冬の山に一人で登った日、

雪は頂上付近でもせいぜい30cmくらいで

下山だけなら駐車場まで1時間弱の山ではあっても、

私はいつになく緊張しながら足を進めた。

それは、命の確かさを感じた一日だった。

 

 

生きるという事は実はそんな体験の積み重ねだけなのだと、

本来の生き方を続けてきた人々は教えてくれた。

 

 

労働が人と動物を区別したのではなく

労働は本来の人と、労働者とを区別したのだった。

人は計画を立てて生きる存在ではなく、

獲物が来ることを信じて待つような存在だった。

人は協力し合うことに重きを置く存在ではなく、

必要な場合に限って協力したい存在だった。

 

 

人は強く賢いリーダーを欲する存在ではなく、

できるだけ縛られたくない存在であった。

 

人は、他の集団と交流を持つことよりも、

できるだけ同一集団内で充足しようとする存在であった。

 

人は地に満ちることではなく、

環境を維持することを重視しなければならない存在であった。

 

 

人は動物たちと同じように、

命を絶対視などしてはいけない存在であった。

 

何かを成し遂げるために生きるのではなく、

そのときどきを生きていけばよい存在であった。

 

 

私たちが教え込まれていた人間像は、

私たちが動物として生きることで困る立場の者たちが

私たちを動物ではなく労働者にするためにでっちあげた人間像であった。

 

 

 

現代社会の実像は、

そのような人間像に騙されて

人々が労働に勤しみ

協力し合い、

計画を立て

人の命を大切にし、

自然な欲求を否定していく社会であった。

 

人々に虚構を夢見させることで、

寄生者たちが金融、裁判、学問などの制度を作って

人類を支配している社会であった。

 

 

沖縄の住民を弾圧するために使われる私たちの税金はまだわかりやすい。

わかりにくいのは、人を幸せにするかに見せながら

本来の生き方をできなくしていく

「正しさ」「温かさ」「楽しさ」「快適さ」といった

肯定的な概念を装った悪意であった。

 

 

私たちが動物として生きようとしたとき、

私たちは労働者として利用されていたにすぎないことも

本来のヒトは他の動物たちにずっと近い存在であることも、

そのように生きるとき生命が輝くこともわかってきた。

 

人の本来の生き方を知ることは

確かな価値基準を得ることであり、

はかない生の意味を知ることであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

トヨタも東電もMicrosoftもGoogleも、「支配者」の意図の下で育つ

車を売りたくても道路や法が整備されていなければ売ることはできない。

電気を売りたくても、法が整備されていなければ鉄塔を建てることもできない。

コンピュータを売りたくても、法で禁じられていれば売ることはできない。

検索機能を売りたくても、法で禁じられていれば売ることはできない。

 

私たちの社会は、支配者たちの利益に応じて「あれは推進」「これは禁止」とする理屈をつけて、またはうやむやのうちに、方向性を定めた法やインフラ整備によって進路が決められている。

 

陰謀論」を手がかりに不思議を突き詰めていくと、

今の世界は、政府が法を定め、税金を投入してはインフラを整備しているからこうなっているのだということがわかる。

 

たとえば麻について考えてみればいい。

麻がどんなにすぐれていようと、禁じられていれば盛んに栽培されることにはならない。それが現在の状況である。

 

たとえば輸血について考えればよい。

http://sharetube.jp/article/1379/

輸血に代わる安全な手法が存在していても、輸血がどんなに危険であっても、輸血が支配者側と結びついていれば、決して禁じられることはなく、代替手法が広められることもない。それが現在の状況である。

 

たとえば「125ccカー」、「水で走る車」、「水とガソリンを混ぜて燃費とパワーを向上する水混合燃焼システム」について考えればよい。

技術的に何の障害もないはずのこの便利な車は、何度も市販時期を報道されながら、結局実現に至っていない。

 

著作権も土地の私有も法人制度も、本当は道理にあってなどいない。

 

私たちが、新聞報道やテレビ報道に脊髄反射のように反応している裏で、うやむやのうちに社会の進路が決められている。観光立国や、五輪誘致、万博誘致なども誰がどうきめたのか、よいことなのかどうか一切説明されることなく、「協力しよう」「この流れにのって収入をふやそう」と動機づけられていく。

 

本当に大切なことは、本来の姿を知り、これを基準として判断していくことである。その結果、今の社会がどれほど異様なのかがはっきりと見えてくるのだ。私は、ヒトの本来の生き方は、大型霊長類の一種として遊動する狩猟採集生活を送る生き方であると判断している。そのことによって、支配者たちの意図がはっきりと見えてきている。

 

私自身、人生の半ば過ぎまで、支配者たちが作る社会の動きに呑み込まれて行動し、思考するだけであった。バイオテクノロジーにあこがれ、ビルゲイツにあこがれ、国連職員や国境のない医師団を尊敬した。市民社会や、成熟した民主主義などという言葉を信じ込んだ。だが、それは支配者たちが用意した回答でしかなかった。

 

今ははっきりとわかる。私たちが自分の人生を生きることは、支配者たちの意図を外れたとき初めて可能になるはずなのだ。

 

 

 

 

 

「思い出そう 森で生まれた私たち」(ジョン・レノン イマジン)


「思い出そう 森で生まれた私たち」(ジョン・レノン イマジン)

 

この詩は、ジョン レノンのImagineの歌詞に独自の視点を加えて訳したものです。

 

ジョン レノンの思い描いた本当の世界が、服を着てピアノを弾いている人たちの世界であったとすると、私の思い描く本当の世界は、これらの写真が表すような世界です。

 

いずれも、植物の採集と動物の狩猟によって生きてきた人たちです。人類学者たちは、このような生き方をしている人々の実態を知って驚かされました。

 

そこには、ジョン レノンがイマジンで歌ったような社会ができあがっていました。

 

 


あの世は知らない
すぐにわかる
土を踏みしめ

 

見上げれば空
思い出すあの頃
人は今を生きた しなやかに

 

国境は見えない
簡単にわかる
とらわれをなくせば

 

すべてが過ぎ去る
思い出すあの頃
ありのままでいた 日々を

 

はじめは、こいつらと呼んで
だんだんわかってくる
肉体(カラダ)で感じていけば
生命(イノチ)の世界に戻れる

 

持ち物を手放し
生命(イノチ)に混ざる
欲張らず、困らず

 

季節を待とう
思い出すあの頃
気ままに捨てていた たくましく

 

はじめは、こいつらと呼んで
だんだんわかってくる
肉体(カラダ)で感じていけば
生命(イノチ)の世界に戻れる

 

 

 

注:
生命の世界は、決してやさしくはありません。文明社会と異なり、人をいつまでも生かしてくれようとはしません。
それでも、そこはピグミーが「森が目覚めていさえすれば何も問題はない」と言えるような世界でした。

ジョギングの危険性、吸気吸収

ジョギングの提唱者ジム・フィックスは、52歳で亡くなりました。

マラソンは健康を”増進”しない -ダーレオーエン選手の突然死から、スポーツを考える: やっとこ! ー武術と強さと健康とー

残念ながら、ジョギングも危ない。
有名な話だが、ジョギングの提唱者であるジム・フィックスはジョギング中に心筋梗塞で死亡。52歳だった。 

「ジョギング 危険性」で検索してみると、朝のジョギングが危険であるとか、突然のジョギングが危険であるという情報は多いが、ジョギングそのものが危険であるという情報は少ないようです。

 

しかし、考えてみれば、動物たちは意味もなく長時間走り続けるような生活を送ってはいません。『家畜になった日本人』で指摘されているようにジョギング自体が体に悪いのです(実はジョギングだけでなく、西洋から持ちこまれた運動は、不自然な動作を伴うものばかりです)。それだけではなく、根本的な問題として、大気汚染の進んだ現代社会では運動によって呼吸が増えることが大きな問題となっています。

 

ジョギング・ランニングは本当に体に良い?最新研究まとめ - NAVER まとめ


「都市部の場合、ランナーが車の排ガスにさらされるからです。特に皇居を周回する内堀通りは、一日中交通量の多い道路。走っている間ずっと大量の排ガスを吸い続けることになり、身体にいいわけがありません。また紫外線のリスクもあり、皇居周辺のコースにはこれを遮るものが少ないです。当然、肌にはよくない」

 

原発事故後の記事でもあったように、呼吸による物質の吸収は驚くほど多いのです。

内部被ばくの原因、改めて「呼吸が飲食の10倍」&「空間線量の10倍」|脱原発の日のブログ

 

「人間は環境化学物質の83%を空気(肺)から取り込み
食品からは7%
飲料からは8%に過ぎない
私たちが一日に呼吸する空気は約20キロ
食べ物や水の摂取量の およそ10倍」

村上周三・東京大学名誉教授
「住まいと人体、工学的視点から
(臨床環境医学 第9巻第2号、pp.49-62)

http://blog.goo.ne.jp/jpnx05/e/6141f9bf3248cc892b75adf7349f1361
「呼吸するだけで被爆>吸気の影響は食べ物の10倍」というタイトル、
原発問題」サイトの記事。(全文ご覧下さい)

 

では、運動不足が体に悪いことは明らかであるとしても、どの程度の運動ならよいのでしょうか。

走るな危険!「ランニングは早死にする」これだけの理由 | 知っ得大衆-スマホ版-

 では、どのようにランニングすればいいのか? 米国心臓学会の専門誌では、5048人のランナーを対象に追跡調査した結果を基に、「健康的なランニング」の目安を示している。

(1)走るのは週に1~2時間ぐらい
(2)走るのは週3日以内とする
(3)走行スピードは時速7キロぐらいで、慣れても8キロが限度

ここまで遅い速度になると、ジョギングにこだわる必要はないのではないように思えます。

 

結局、汚染されていない空気の中で、歩きまわることの多い生活を送ることが一番健康なのでした。

 

 

植え込まれた価値観に縛られるということ(馬鹿の壁)

私は何とバカだったのだろうか。

 

あの話もこの話も、全部でたらめのトンデモだと思い込んでいた。

 

最初に聞いたのは、エイズ人造ウィルス説だ。

有色人種にだけ有害なウィルスを実験室で作って散布したというのだ。

そんな都合のよいウィルスなど作れるわけがないと考え、

しかも無駄に物語性を高めた長編小説の形で発表されているその資料は、

まったく読む価値のない時間潰しにしか思えなかった。

 

 

次に聞いたのは千島学説だ。

血液は骨髄ではなく腸で造られているとか、

細胞は赤血球が変化したものだという、

現在一般に認められてる説とは異なる説が展開されている。

この話を聞いた時、

やっぱりこんな嘘を信じ込む馬鹿がいるんだくらいにしか思えなかった。

 

 

その次は、ロスチャイルドと金融の仕組みをめぐる話だ。

それなりに平和が維持され、豊かになった現代社会の基本ともいえる

金融の仕組みを特定の家系が作ったなどという馬鹿げた話だ。

これも、近づいてはいけない類の本だとしか思えなかった。

 

 

馬鹿だったのは私のほうだ。

エイズが人造ウィルスであるかどうかはわからないがこれに類する話は多くあるのだ。

天然痘の菌が着いた毛布をインディアンに渡した白人たち

自閉症を招いたといわれるワクチン接種

不妊を招くといわれる子宮けいがんワクチン

精子減少の原因といわれるカップラーメンのカップ

・羊水を濁らせるといわれるヘアダイ

・農耕の開始によって広まったマラリア

・都市生活の拡大によって広まったコレラ

エイズ人造ウィルス説を知ることで視野は大きく広がるのだ。

 

千島学説も同様だ。この学説が正しいかどうかはわからない。

しかし、この本を基に得た視点は多い。

東洋医学的な身体観の重要性

・小腸の重要性

・ガンの化学治療の有効性(【化学療法】 癌治療(がん治療)の三大療法について 〜 ガン患者の集い)に示されているような治療効果の違い

転移・再発しやすいがん(癌)の種類や転移元・先の関係

・当然と考えていたことも、執念深く検討していくことの重要性

千島学説のように、一般的な理論とは相入れない理論を知ることで、発想や視点が広がるのだ。

 

金融の仕組みを知ったことは、さらに重要だった。

この話を知ってみれば確かに腑に落ちないことばかりなのだ。

・なぜ中央銀行は政府とは別になっていて国民とも切り離された存在なのか?

・なぜ紙幣の額面と製造原価の差益は中央銀行の利益にならないと言い張っているのか?

・なぜ創業者よりも資本家がえらい株式会社が存在しているのか?

・なぜ大がかりな仕手は犯罪ではないのか?

・なぜ一国の経済を越える経済規模を持った巨大組織が規制されないのか?

・なぜ公共施設はコカコーラの自販機ばかり置いているのか?

・なぜ国は借金してまで公共事業を行うのか?

・なぜ国鉄がJRに郵便局がJPになって、国民の資産をみすみす手放すのか?

・なぜ原発事故の収束よりもオリンピックを急ぐのか?

・なぜローンや株式投資が当たり前の扱いになっていくのか?

・なぜノーベル賞はこれほど騒がれるのか?

腑に落ちない原因は、表向きの社会と本当の社会が違うことにあるのだろう。

学校やマスコミが教えている説は、どうやら真実ではないようなのだ。

 

 

以前の私に向かって言いたいのは

「理性的に判断して無駄な遠回りを避け時間を

貴重な時間を浪費しないようにしているつもりだろうが、

それが「馬鹿の壁」だよ」ということである。

 

 

生まれてからずっと、特定の価値観に即した情報ばかりを与えられて、

いつの間にか当たり前だと思い込んでいる価値観。

勉強好き教養好きであればあるほど、この価値観を伝える情報にせっせと接して、

さらに常識の殻を固くしながら「私は情報リテラシーが高い」と思い込んでいる。

 

 

以前の私がそうだ。多くのリベラリストもそうであろう。

理系を自負する人々や、催眠を否定する人々もそうであろう。

 

 

本当は、そういった情報にまぎれている、

隠しきれなくて漏れ出した真実を、

いろいろなところから

少しずつ拾い集めていくしかなかったのだ。

トンデモ本には、そのような情報が含まれている可能性が高いのだ。

(もちろん、大衆洗脳や扇動に利用されるトンデモ本もある)。

 

そうしてみて初めて、この世の真の姿、生命の姿、人類の姿が見えてくる。

 

馬鹿の壁を壊すハンマーは、トンデモ本かもしれないのだ。

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